こんにちは、タイチです。
みなさん、英語は話せますか。
おそらくほとんどの日本人がこの質問に”No”と答えると思います。
でも、中学、高校、大学で約10年も勉強してきたのに、話せないってことがありますか。
どんなことでも10年も続けていればある程度はできるはずですよね?
英語も同じです。
この記事では「日本の英語教育における6つの弊害」をテーマにお話ししたいと思います。
グローバル化が進むにつれ、何かと問題にあがる日本の英語教育ですが、
私個人としては教育方法にはそこまで問題はないと考えています。
では、どうして日本人はここまで英語ができないのでしょうか。
その弊害をいくつか挙げてみます。
カタカナ
日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字など様々な表記を取り入れています。
このことは世界の言語に目を向けてもかなり珍しい現象です。
たとえば英語はやはりローマ字を用いて”Sushi”、”Tsunami”と表記しますし、
中国語もピカチュウを「皮卡丘(発音:ピーカーチォ)」と何としてでも自国の漢字を使います。
(*例外. ドラえもんは「哆啦A梦」。どうして”A”…?)
一方で、日本語はその言葉の意味や使われ方に合った表記をその都度選ぶことができます。
それぞれの表記から感じる印象も違うのではないでしょうか。
「ありがとう」「有難う」「アリガトウ」
「たすけてください」「助けてください」「タスケテクダサイ」
「おもちゃ」「玩具」「オモチャ」…
こういった微妙なニュアンスを文字でも表せる日本語は美しいと思います。
しかし英語を習得する上では弊害にもなり得るのです。
開音節と閉音節
開音節とは母音(あいうえお)で終わる音節のことで、閉音節とは子音で終わる音節のことを言います。
基本的に日本語の音はほとんどが開音節で構成されています。
一方、英語のほとんどの音は閉音節です。
例)
Shop [1音節] 「シャップ」
英語の発音では最後の「プ」の音はほとんど聞こえません。
では日本語の発音で言うと、、、「ショップ」ですね。
音節は”shoppu”となり2音節になります。
つまり、カタカナという表記法があるせいで、日本人は英語を一旦カタカナに変換しているために
英語話者のようなきれいな発音ができないのです。
台湾では中国語が話されていますが、日本語のように「変換」することができないので、
英語の発音をそのまま発音します。ですので、台湾人の英語の発音はとてもきれいです。
これはもはやどうしようもありませんね。
カタカナを廃止してしまえばいいのですが、なかなかそうもいきません。
言語間の距離
言語には距離があります。
たとえば、スペイン語とポルトガル語は語彙も文法もよく似ているので、言語間の距離は近いと言えます。
また、日本語の韓国語の距離もかなり近いと言われています。
実際に文法もよく似ていますし、発音がほとんど同じ語彙もあります。
中国語も文法や発音は日本語とは違うところも多いですが、語彙に関して言うと、日本人にとっては習得が楽な言語であるのは確かです。
(ちなみに、日本語の起源ついてはいまだにはっきりしておらず、世界の中でも不思議な言語だと言われています。)
では日本語と英語はどうでしょうか。以下をご覧ください。
これはアメリカ人にとって言語習得の難易度を示したもので、カテゴリー4が最も難易度が高いとされている言語です。
ここからアメリカ人が日本語を習得するのはかなり難しいことがうかがえます。
また別の調査では、アメリカ人が日本語を習得するには、少なくとも1,320時間の学習時間が必要とも報告されています。(実験では1週間に30時間勉強する集中コースで44週続けました。)
一方、カテゴリー1のフランス語の場合、半分以下の600時間で習得できるようです。
このことからわかる通り、日本語と英語は言語間の距離が大きいため、日本人にとって英語は習得が難しいのです。
また、上の実験では集中コースを受けた方を対象としたものです。
日本の学校教育で確保されている英語の学習時間は1,000時間ほどです。
しかも中学・高校の6年間かけて1,000時間です。英語と日本語の距離を縮めるには全然足りないのです。
完璧主義
日本人はその真面目な国民性から完璧を求めすぎる傾向にあります。
戦後、日本が一気に先進国にまで上り詰めることができたのは日本人ならではの勤勉さにあると言われています。
このことは世界に誇るべきことだと思います。
しかし、英語を学ぶ上ではこの完璧主義な態度は弊害でしかありません。
よく言われることですが、日本人の「できる」の基準はかなり高いです。
20年以上英語教師をしているベテラン先生ですら、「私はまだまだ。」と言っているのですから、
ちょっと勉強した程度の人が「私はできる」なんて言えないですよね。
でも言っていいんです。
試しにインド人が話す英語を聞いてみてください。
以下のビデオでは「インド人は自分が話す英語のアクセントがどのように聞こえているか知っているのか」というテーマでインタビューを行っています。
バカにしているわけではありません。
わかってもらいたいのはこれも英語だということです。
(正直、私は字幕がなかったらほとんど聞き取れないと思います。)
上の図が示す通り、世界には英語を話す人が15憶人いますが、そのうちの75%はネイティブスピーカーではありません。つまり、いろんな英語があっていいのです。
日本人の英語もそのうち「ジャパングリッシュ」として定着していくと思います。
「英語が話せない」=「会話ができない」ではない
ここ数年で「出川イングリッシュ」が話題になりましたね。
ご存じない方はまず見てみてください。
出川さんははっきり申し上げて、「英語が話せる人」ではありません。
でも、びっくりするくらい言いたいことが通じていますよね。
要するに、「コミュニケーション能力」です。
英語を勉強する目的が「世界中の人と話せるようになりたい」ということであれば、英語力を磨くよりもコミュニケーション能力を磨くことの方が重要です。
コミュニケーション能力は「伝える力・感じる力」と言い換えてもいいでしょう。
英語力に自信がない人はコミュニケーション能力を、コミュニケーション能力に自信がない人は
英語力をUPさせて、うまくバランスが取れればいいんです。
ただし、ネイティブと同様に英語を使いこなすことはかなりハードルが高いので、理想型は③です。
現在、多くの日本人は「英語が話せない」から「会話ができない」と考えがちですが、この2つは上述の通り分けて考える必要があります。考え方を変えましょう。
英語力が不足しているのであれば、コミュニケーション能力で補いましょう。その逆も然りです。
先生を尊敬していない
英語教育の問題でいつもやり玉に挙げられるのは先生です。
・英語の先生なのに英語が話せない
・発音が悪い
・読み書きに重点を置きすぎてコミュニケーションの部分が蔑ろにされている
など、いろいろな声があがっていますね。
ただ少し考えればわかることですが、そんな「悪い」先生を持った学生の中にも英語が得意な学生も大勢います。要するに、学ぶ側の態度を改める必要があるということです。
学ぶ側が先生をリスペクトし、先生から何かを学ぼうという姿勢で授業に臨んでいれば、英語に限らず、そこには必ず有意義な学びがあるはずです。
気象予報士が「明日は雨になりそうです」と言えば、「今日中に洗濯しておこう」となりますが、近所のおっちゃんが「明日は雨やで。」と言っても、そうはならないでしょう。
また、CMなどでカッコイイ俳優やきれいな女優が起用されるのも同じ理由です。
自分が尊敬している人、憧れている人、好きな人の言うことは条件なしに信じてしまうのが人間です。
そういう意味では、先生の仕事とは「学生に尊敬してもらうこと」「学生に好きになってもらうこと」なのかもしれません。
もし英語が苦手という人は、まず、先生を好きになるところから始めてみるといいかもしれません。
いかがでしたか。以上が日本における英語学習の弊害です。
次回は「子どもの言語習得」について解説していきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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